The_Rained_Mantle

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#01:Scent_of_Shower

「『ワーフォール』まではあとどれくらいかしら?」
 姫の不安げな声が、単調なリズムの中で輝いて聞こえた。
「止まらずに行けば丸一日で着くでしょう」
 背を向けたまま会話するのは失礼に当たるのでは、と思いつつ、馬に乗っているために振り向いている余裕はない。霧が立ち込める絶壁の縁、強風の吹き荒れる難所で、僅かな油断さえ命取りだ。
「でも、何処かで休憩を取るんでしょう?」
 勿論、ハイキングに来ているのではない。そんな悠長に出来る場所はとうに通り過ぎていて、触れれば手を切ってしまいそうな断崖ばかりである。仮にハイキングのためにここにいるとしたらば、どれだけ良かっただろう。かつての平穏を回顧すれば、厳しい現状が胸に痛む。
 私たちは、亡命するために、馬を走らせているのだ。
「はい。ここを超えたら林に入り、そこで一時間ほど休みましょう」
 急ぐ必要があった。だが、私一人ではないし、姫は騎士ではなさらない。それどころか、一般の市民よりも遥かにか弱い、そういうお方である。可能ならば半日ぐらいの休憩を取らせてやりたかったが、生憎追っ手は待ってくれない。
 ここら辺に住む魔物の声が聞こえてくる。ここで襲われたらかなり不利だろう、そう思いながら、馬の足を速めた。

 白樺の林は静まり返っていた。相変わらず霧は濃いが、その方が隠れる身としては好都合だった。しばらく奥まったら馬を止めて休憩するつもりで、僅かに進行方向を歪めて進む。この霧なら焚き火をしても問題ないだろう。久しぶりに暖かい物が食べられる、そう思った矢先だった。
 突然、馬が転倒する。
「姫!奴らです、待ち伏せられました!」
 馬の足に矢が命中したのだ。足だけでなく、長い首にも二本、頭に一本突き刺さっていた。隠れるのに有利なのはこちらだけでは無かったのだ。
 すぐに馬から離れ、木陰に隠れる。姫もそれに習って、すぐそばの木に張り付いていた。連なって放たれた矢が過ぎり、その何本かは倒れた馬に突き刺さった。
 乱れる白い息が霧の中に紛れる。
 相手の出方を待ちながら、馬はもう助からないだろう、そう思った。ここまでの旅路で汚れてしまったが、美しい毛並みの白馬だ。生々しい赤色が、そこから生えているような矢の根元からこぼれていた。軍馬として調教こそされていなかったが、いい馬だった。
「……ごめんね、ポーラ」姫はその白馬を見つめながら、そう呟きなさった。姫の、幼少からの愛馬だったのだ。馬は身を横たえたまま、荒げている呼気が苦しそうだった。
 来た方から馬の足音が聞こえる。それと同時に、矢の方向からも足音。こちらは人間だ。私は剣を抜いて、姫に声を抑えて言った。
「姫、魔力はまだありますね。ここで一戦交えます」逃げ切れるはずもないし、いずれにせよ、馬がなければ第二、第三の追っ手がやってくる。それならば、ここで少々無理をしておいた方がいい。
「姫の身に指一本触れさせないつもりですが、万が一のことがあります。すぐに障壁を展開できるよう、用意しておいてください」
 霧の中から五頭の馬が飛び出した。それらに騎乗するのは、赤の紋章を持つ騎士だった。一旦私の横を通り過ぎてから、馬から降りてやって来た。近くにとめているのだろう。一応交渉をするつもりらしく、すぐには襲って来なかった。林に伏せていた者と合わせて九人、私達の周りを取り囲んだ。
「手短に申し上げます。アトリーシャ皇女。私達は『盟友の証』をお預かりに参りました」赤の騎士はそう言って一歩踏み寄る。「すぐに出してくだされば、貴女の邪魔するつもりはありません」
 それに姫は答えなさる。日頃のあどけなさとは打って変わって、凛々しい、皇女に相応しい受け答えだった。「お断りします。我が父、故オルディウス九世は、最期までレナンティウス殿に皇帝の位は譲らない、と仰っていました。私はその遺志を受け継ぎ、またそれを貫こうと思っております」
「正式に位を譲れ、とは申しておりません。私らはただ――」赤の騎士の言葉途中、姫は遮って言った。「戴冠の際に、盟友の証も受け継ぐのはご存知でしょう。盟友の証は、同盟国ワーフォールとの親交を誓ったもの。それが無くして、我が国は存在たりえず、また、それを受け継がなければ、真に皇帝となったとは言えません。我が国は、貿易で成り立っているのですから」
「それでは、少々手荒な真似をしてでも、お預かりしなければなりませんね」そういって赤の騎士らが抜刀したため、私は姫と奴らの間に割って入った。
「皇女様に何たる無礼!礼儀を欠いた者に、騎士を名乗る資格は無い!」
「……“元”王家親衛隊隊長のレイン=グロリオサとか言ったかな。この状況の中、無事逃げ遂せると思っているのか?」騎士はそう言って、剣を構えた。
「逃げ遂せる?身のほど知らずめ。聖剣技の力を思い知れ!」

 戦いはすぐに決着がついた。無論、負けるはずは無かった。多少の痛手は負ったが、それでも軽傷だ。
「姫、怪我はないでしょうか?」
 しかし、やられ際に奴らの一人が笛を吹いた。離れた所にいる馬に合図したのだ。その合図に馬は逃げ出し、馬を奪い取ることは出来なくなった。思いのほか、一応の覚悟は出来ていることに関心しつつも、予定が乱れたことに焦りを抱く。
「大丈夫。レインは?」
 アトリーシャ皇女は、自分の家臣にもこうした声を掛けなさる、優しいお方だ。そんな姫に数多の敵が出来てしまったことが、唐突に悲しく思えた。本来なら、幾多の人々に守られて然るべきお方なのに。
「問題ありません」
 辺りを見回す。霧は相変わらず濃い。敵の気配はしない。
 しばらく周囲を散策したが、やはり馬は逃げてしまっていた。途中、焚き火の跡を見かけたが、何も残っていなかった。幸い自分らの荷物は無事なので、そこで火を起こした。これから徒歩で進むため、十分に休んでおく必要があった。

 この逃避行は、二日前から始まった。いや、実際には三ヶ月ほど前から始まっていた、と考えるべきだろう。
 三ヶ月前、前皇帝であるオルディウス九世とその皇后が、病により急死した。毒殺であると囁かれていたが、遂にはその証拠が得られず、真実は暴かれなかった。
 それを機に、かねてから前皇帝と対立していて、レナンティウスが急に勢力を伸ばし、空位となった皇帝の位の後継者である、と名乗り始めた。レナンティウスは前皇帝の弟であるが、オルディウス八世の子に生まれながらも、兄九世の存在により、王位を得ることが出来なかったと、頻繁に不平をこぼしていた。
 一人残されたアトリーシャ皇女はレナンティウスの即位を否定するも、女帝の前例が無い上、まだあまりにもお若かった。そのため、レナンティウスは議会がまとまらない隙に、半ば謀反の形で強引に即位し、戴冠した。それが先月。
 即位してすぐ、議会の意を無視しての増税やら、近隣国への侵略を企てたりといった行為に国民の反対の声は高まりつつあるが、そうした声に対してはあの赤の騎士を差し向け、武力による弾圧をする、という暴君ぶりは、とどまることを知らない。
 しかし、主な貿易相手であるワーフォールとの国交を保つには、盟友の証が必要不可欠。年に一度の、親睦を確かめ合うためにパーティが設けられているが、その際にお互いの証を提示しあうこととなっている。それが間近になってきたためか、初めは穏便に譲渡を請求したが、次第に暴力に訴えるようになった。
  遂に身の危険を感じた皇女は、直接の親交もあるワーフォールに助けを求めるために、亡命を決意なさった。私も王家親衛隊隊長の座を捨て、その亡命の手助けをした――、という顛末である。
 パチパチ、と枝が爆ぜる。焙ったパン、ソーセージや干し肉という、王家の人間が召されるような食事ではなかったが、姫は嫌がるどころか、美味しそうに召し上がる。
 姫曰く、「いつもと違うものが食べれて嬉しい」とのこと。確かに日頃から、「たまには所謂“庶民の味”みたいなのも食べてみたい」と仰っていた、と思い出す。
 殺伐とした日常は、こういった些細な出来事で維持されていた。

 腹ごしらえが終わったので、出発することになった。
 レインはあまり食べていなかった。多分、ポーラが殺されてしまった分、歩く時間が増えたからだろう。私の分も減らすべき、そのことを指摘したとしても、恐らく従わないであろうから、言わないでおいた。家臣の中で、実は一番言う事を聞かないのはレインではないか、最近そう思い始めている。
 林の中を進んでいく。あまり深い林ではない、そうレインは言っていたが、いくら歩いても外に出ない。方位磁針は正確に方向を示しているから、同じところを周回しているわけではなさそうだった。歩くのがどれだけ遅いかを知った。何事も経験してみるものだ、と前向きに考えてみる。
「姫、大丈夫でしょうか?足は痛くないでしょうか?」長時間歩いていると、何度も確認された。「大丈夫」と言いつつ、根を踏み越えるときに足を滑らせると、幸い転ばなかったが、レインはそれに見かねてか、「おんぶしましょう」等と言う。あえて口を利いてやらなかった。
 レインとは物心がついた頃から主従関係にあった。私とは六つ離れている。一つ前の王家親衛隊の隊長の娘だとかで、私が生まれるよりも前から剣術を習っているらしい。私が始めて魔法を習い始めたときには、もう大人の騎士からさえ尊敬の眼差しを受けていたぐらいだから、相当の腕前なのだろう。先程だって、あんな大人数を、あっと言う間に倒してしまった。
「林はまだ終わらないの?」また足が痛くなったのか、と聞かれると思ったが、いくら何でも歩き過ぎだ、という疑問が先行した。
「いや、普通ならとっくに抜けているはずです。何かがおかしいですが、しかし、歩く他ないでしょう」そう言って、歩み続ける。止めはしなかったが、若干歩調を遅めてくれた。
 日が傾き始める。一向に終わりは見えない。薄い暗闇と霧の中、不気味な雰囲気だった。絶えない白樺の木々が、次第に化け物のように見えてくるほどに不安を覚える。今は亡命や使命といったことよりも、一刻も早くこの林を抜けたい、そう思っていた。
 日が落ちる。レインは松明に明かりを点けて、歩く速度を落とした。これまで、一度も怪物に出会わなかった。出たら出たで困るのだけれども、ここまで静かだと逆に怖い。もしかしたら、一生この森から出れないかもしれない、そう一度連想してしまうと、その考えは頭の中一杯に広がって、恐怖を至るところに振りまいた。飛散した恐怖はあらゆる思考に不吉な影を落として、呪いのように離れない。
 いても立ってもいられなくなって、レインに言った。
「手を繋いでも、いい?」
 離れると危ないから、そう付け加えると、レインは「お捕まりください」と左手と松明を差し出した。レインの代わりに松明を持って、その手をしっかりと握る。両手が塞がっては剣を持てないからだろう。
 それからは若干恐怖が和らいだ。繋げた手から暖かさが伝わってくる。レインがいるのだ。きっと何とかなるだろう、そう何度も心の中で繰り返した。

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#02:As_I_Look_Up,It_Is_Cloudy

 そろそろ休憩の時間にしよう、そう思ってまもないときだ。白樺も濃霧も絶え、開けた場所に出た。そして、目の前には、全く予想だにしていなかった物が現れた。
 古城である。
 かなり大きく、一地方の城よりも大きいぐらいだった。勿論、こんなところに城があるとは聞いていない。まるで得体が知れない。満月が尖塔に掛かっていて、妖艶な――古城を言い表すのには不適切かも知れないが――雰囲気だった。
 喜んでいいのか分からなかった。既に追っ手は根回ししていて、訪ねれば包囲されるかもしれなかったし、こんな城には何が住んでいるか分からない。だが、このまま歩いていても、無事にワーフォールに到達する気がしないというのも確かだった。
 あの白樺の林はどうもおかしいのだ。野生動物はおろか、魔物すら生息していなかった。ここ一体の山々は岩肌が露出していて、動植物が少ない。そんな中での林というものは、格好の住処であるはずなのに。
 推測してみるに、何らかの呪いが掛かっているのかもしれない。すぐ思いつくのは、一度入れば二度と出れない、という結界や、空間的に捩れていて、一方向に進んでいるのにも関わらず、同じところを繰り返している、というものだ。
 しかし、そういった痕跡はまるでなかった。一つの林にまるまる封印を掛けるとなると、それなりの媒体が必要になる。それの手がかりに成り得るものが、全く無かったのだ――この城を除いて。
 言うまでも無く、魔法等掛かっていない可能性も十分ある。そうであったとしても、やはり姫をこのまま歩かせるのは心苦しい。気丈に振舞っていなさるが、何日も続けば流石に辛かろう。休める時間も限られている。姫が倒れてしまって、私だけがワーフォールについたところで、何の意味も成さないのだ。
「人間だなんて珍しいわ」
 どう出ようか考えあぐねていると、そこに第三者の声が飛び込んできた。その声の主は前方に現れ、まるで初めからそこにいたかのように、目の前に立っていた。全く気配すらなかったのだから、テレポートの魔法でも駆使したのだろう。
 その声の主は女性だった。冷え込む夜であるのに、その女性は豊満な胸の所が広く露出したイブニング・ドレスを纏って、唾の広い帽子を被っていた。黒紫のそれは、夜の暗がりによく溶け込んでいた。纏うものと彼女の黒髪は、白く滑らかな肌と対照的で、また赤色の口紅と虹彩ともよく映えて、その類にはまるで疎い私にも、彼女が美人であるのが分かる。香水の香りも僅かにした。
 しかしその優雅な装い以上に抱いた感情は、何よりも恐怖や危機感といった、警戒に値する感情だった。この城や呪いの疑惑を抜きにしても、本能とも言うべきものは、確かに彼女は危険だ、油断するなと叫んでいた。
「すみません、私達、道に迷ってしまいまして」そう言って姫は頭を下げなさる。言うまでも無く極秘の亡命であるから、名前は出せない。いくら無礼な振る舞いをされても仕方が無いだろう、そういう覚悟で姫の交渉を見守っていたし、突然襲い掛かられることも警戒していた。彼女が人ならざる者である可能性、脅威である可能性は否定できなかったが、いずれにせよ城に入る必要があるからだ。
「どうしましょうか――」彼女はしばらく考えていた。だが、どうも様子がおかしく、上の空といったところか、ぶつぶつと何か呟いている。「……ああ、でも、たまにはそういう遊びも――」
「申し訳ないのですが、馬を貸していただけますか」話し掛け辛かったが、あまり深くは関わりたくないな、とも思ったので、早めに本題を切り出した。「必ずお礼をしますので」
「……ええ、いいでしょう。馬なら好きなだけ貸します。ですが、条件があります。貴女、武芸をやっているようですね。ちょっと私の相手をして下さると、嬉しいんですけど」彼女は微笑みながらそう言った。
「剣術ですか。私は構いませんが」しかし不安だった。彼女がただの淑女だとは、やはりどうしても思えなかったのだ。少し嗜んだ、というレベルの魔法ではないし、この森を牛耳っている魔物が、こうして人間の姿を取っている、というのも十分にありえる。
 だが、どうしても馬を借りる必要があったし、この森をおかしくしているものが、城にある確率は、そういった危険な試みをする価値があるほどに高いからだ。
「そう、良かったわ。じゃあ、賭けをしましょう。貴女が勝ったら、好きにしていいわ。馬はあげますし、なんでしたら泊まっていっても構いません。部屋はありますからね。ご馳走も用意いたしましょう」彼女はにっこりと笑う。随分の自信だ。「その代わり、私が勝ったら、私の頼みごとを聞いてくださります?」
「構いませんが、私達は急ぎの旅をしております。遅くても、明日の朝にはここを出発できるよう配慮してくだされば、問題ありません。それと、あくまでも頼みごとを聞くのは、私だけ、ということで」
「ふふ、そんな必要ありませんのに。大丈夫ですわ」意味の取れない返答をしつつ、彼女は手を高く掲げた。空を掴んだ、かと思うと、その手にはレイピアが握られていた。綺麗な彫り物が施された美しい代物だったが、闇夜の冷気を氷柱状に固めたかのような、鋭い冷たさを孕んでいた。
「さあ、始めましょう」
「ここでやるのですか?」私はたじろぎながら剣を抜いた。ことがあまりにも急だったし、折角城があるのだ、わざわざこんな所でやる必要もない、そう思った。姫にあまり負担を掛けたくない、というのもあった。随分と冷え込んでいるからだ。
「ああ、それもそうね。丁度良いところがあります」彼女は、門の方へと歩み寄り、暖炉に魔法で火を掛けた。
 いつの間にか、一瞬の思考の余地もなく、周囲は立派なホールになっていた。
 こんなにも自在にテレポート魔法が使えるものなのか、と思いつつ、その周囲に目をやる。豪華なシャンデリアや、ピアノ、立派な絵画と彫像といった美術作品も数点見られた。どれも古めかしい様式だったが、それがこの城の歴史を物語っている。こんな辺鄙な場所に、このような場所があるとは思っていなかった。薄廃れた古城ならまだしも、ここまで豪華であるとますます疑わしい。ここまで来ると、何かの間違いで冥府の森にでも迷い込んでしまった、そうとすら思える。
「お嬢様はこちらにお座りになるといいですわ」彼女はレイピアを片手にしたまま、イスを暖炉の傍にセットした。近くにはテーブルもあって、ホールで並べるイスとテーブルの組が、一つだけあるようだった。
「ありがとうございます」姫はそう仰って、お座りになられた。
「そろそろ始めましょうか。私、こう見えてもかなりの自信がありますの。あまりがっかりさせないでくださいね」彼女は先程の笑みを見せながら、帽子を取って投げた。ふわりと宙を舞って、帽子はテーブルに載った。彼女はそれを見届けずに構える。重心の浮いた、つかみどころの無い構え。見たことのないものだが、向けられた剣先の照り返しが、強烈な威圧感を帯びて睨んでいる。
私も荷物を置いてから、剣を構える。林の呪いについて訊ねたかったが、そんな余裕はなさそうだった。「なかなか仰る。私も負けないつもりです」
 間合いは遠いぐらいで、お互いの攻撃は届かない距離だった。だが、彼女のテレポート魔法を考慮すると、油断出来る間合いなど一切無かった。
「では、行きます」そう言うなり、彼女は一気に駆け寄り、突きを繰り出す。まだまだ命中のしないはずの間合いだったが、私は間髪入れず身を翻し、反撃に剣を振るった。
 案の定彼女はテレポートをし、一瞬に間合いを詰めた。テレポートが無くても十分に通用するほどの恐ろしく早い刺突は、私の靡いた髪を掠った。私の反撃も、引っ込めたレイピアの鍔で、軽々と受け止められる。
 油断はしていなかったが、予想以上の動きだった。恐らくあの一撃は、私の聖別された鎧ですら、まるでクラッカーであるかのように打ち抜くだろう。急所を突かれれば、鎧の上からでも一撃でやられてしまうはずだ。
 私は更なる攻撃を加えようと剣を振るったが、彼女はテレポートで遠方まで退避してしまった。「ふふ、いい動きだわ。よく訓練なさってますのね」ゆっくりとこちらに歩いてくる。心底楽しいのだろう、指揮棒のようにレイピアを小刻みに動かしている。「でも、まだまだ遅い。鎧を外す時間を与えましょう」
「……では、そのご好意に甘えましょう」鎧で防げないと分かっている今、鎧はただの荷物でしかなかった。篭手やら脛当てやらも全て取り外し、ホールの片隅に片付けた。
 ふと視界に入った姫は、私に心配そうな眼差しを向けなさっていた。負けるわけにはいかない。先程の攻撃は、確実に殺すつもりの一撃だった。つまりは、これは死に直結する試合である。私は、ここで死ぬわけにはいかないのだ。
 正直を言えば、私は相手の実力を見誤った。他に選択の余地がなかったとしても、これは私のミスだし、だからこそ、私は私の責務を果たさなければならない、そう自戒する。
「再開しましょう」

 気が気ではなかった。レインが押されているなど、ここ最近になって見たことがなかったからだ。鎧を脱いだところで五分の相手だったが、それもレインが本調子のときだ。随分と長い時間、一進一退の激戦を繰り広げていた。
 だが、相手は人間ではない。高等魔法であるテレポートを、詠唱もなしに何度も、しかも剣を振るいながらやってのける人間など、聞いたことがなかったからだ。疲れている様子もなく、また魔力がなくなる様子もなかった。
 次第にレインは押され始めた。疲労が重荷になり始めたのだ。長旅の分もある。辛そうにしているレインを見ていると、心が締め付けられるようだった。
 レイピアを持った彼女は、途中、何か喋っていた。よく聞き取れなかったが、随分と嬉しそうにしているのは確かで、どうやらレインの技に感動しているようだ。今も、「面白い」やら「よく避けた」やら口走っている。ちらりちらりと見える赤い瞳が、狂っているように見えた。レインは殺されやしないだろうか、そう心配にさえなってくる。
 ふと、レインが死んだらどうなるのだろう、と思った。
 私はワーフォールに着けるのだろうか。もしワーフォールに着いても、ちゃんとやっていけるだろうか。盟友の証があれば、ワーフォールの皇帝が後ろ盾になってくれるだろうから、レナンティウスを失脚するまでは何とかなるだろう。
 しかし、その後は?
 きっと、多くの人間が私を慕ってくれているし、きっと手を貸してくれるだろう。でも、私にはもう、父上も母上もいない。乳母は二年前に病死してしまったし、私の手助けをしてくれる大臣だって、激務に追われてそれどころではない。
 今ではもう、本当に心の支えとなってくれるのは、レインだけなのだ。
 彼女は私と同じくして王宮内で育った。ほとんど姉のようなものだ。剣の稽古をしていないときはいつも傍にいて、一緒に遊んだり、勉強を教えてくれたりもした。
 私が王宮の飾り物を壊したりしたときも、一緒に謝ってくれたのを思い出す。でもそのときは、一緒に叱られるのではなくて、逆にレインに一番叱られた記憶があるけど、私が馬に乗れるようになったとき、一番喜んでくれたのもレインだった。馬に乗って、二人だけで(何人もの護衛が隠れていたけれど)ハイキングに行ったのも覚えている。
 そんなレインが死んだとしたら、どうなるのだろう。私は何を頼っていけばいいのだろう。
 レインは、私が亡命を決意したときに、強くなったと私のことを褒めてくれた。だが、それはレインがいたからだ。私を誰よりも理解している大切な家族であり、誰よりも強く守ってくれる、私だけの騎士であるレインがいたからこそ、父上の遺志を貫き、レナンティウスに屈することもなく、強くあれたのだ。
 そう、全てはレインがいたからこそ、なのだ。

 不意に、視界が狭くなる。
 左目には鋭い痛みが走り、何が起きたのか分からなかった。私は思わず左目を袖で拭った。
「!!」
 袖には血がついていた。私の血ではない。血が目に入ったのだ。
 私は痛みを忘れて、レインの姿を確認した。
「あ、あ……レイ、ン?」
 レインの肩を貫く、細長い剣。
「いやぁあああ!」
 レインの肩は赤く濡れていた。その飛沫は床に直線を点描し、その直線上には私がいた。私はそれを辿るようにして、レインに駆け寄った。
「あら、残念」女が剣を引き抜くと、出血はより酷くなった。レインは傷口に手を当て、それを確認する。ゆっくりと、レインの持つ剣は手を滑って、音を立てて落ちた。
「レインっ!レイン!」
 私は立ち尽くしているレインに後ろからしがみ付いた。レインははっとして、体を捻って私の頭を撫でながら、ゆっくりとした口調で言った。「すまない姫。負けてしまった」
「そんなの、そんなのどうでもいい……」私は涙を止めることが出来なかった。嗚咽も、うわ言のように口から出る言葉も。私は、強くも何ともないのだと、改めて思った。
「でも、なかなか面白かったわ。本当は殺しちゃうつもりだったんだけど」くすくすと笑う声が聞こえる。「そんな勿体無いこと、やめますわ。良かったわね、お姫様?」
 レインに抱きついた腕が強引に引き剥がされて、次に強い衝撃が私の左半身を叩き付けた。ふら付く頭を右手で抑えながら目を開けると、強い力で横に放られたようだった、レインの姿が遠くにある。左足、左腕が酷く痛んだ。引き剥がされてから身体が壁に当たるまでの短い瞬間に、「姫!」と叫ぶ声が聞こえた気がした。
「貴様、姫には手を出すな!」レインが落ちた剣を拾う動作が、ぼやけて見えた。剣を左手で持って、あの女と対峙していた。肩を貫かれた右腕はもう、使い物にならなくなっているのだろう。
「あまり興奮すると、出血が酷くなりますわ。貴女の信念には感心しますけれど、右腕が使えないのに、その剣でどうしようというのかしら。でも大丈夫。貴女の大切な人には、もう何もしないわ」ふふふ、と笑う女の声。小さい声なのに、それは私にも聞こえてきた。ゾッとするような、恐ろしい笑い声。「ええ、“私は”何もしませんわ」
 視界は徐々に落ち着いてきて、ハッキリとレインの表情が見てて取れるようになった。貫かれた右肩が痛むのだろう、辛そうだった。レインは剣を鞘に収め、左手を肩に当てて、小さく呟いた。回復魔法を唱えたのであろうが、気休めにもなっていないだろう。血を止めることさえ出来ていないようだった。
「さて、貴女は私に負けました。先程言ったとおり、貴女は私の言うことを聞かなければいけません」レイピアがふっ、と無くなった。彼女は相変わらず笑みを浮かべている。「ですから、こちらへ来てもらえますか」
「翌朝にはここから発てるのですね?」レインはそう確認しながら、彼女の方へと進んだ。足取りは重そうだったし、ふら付いていた。止めどなく滴る血液を見れば、原因は明らかだった。
「ふふ、大丈夫です。でも、その前に――」お互いの手が届く距離になると、その女は自分の付けた傷をまじまじと覗き込んだ。肩を抑えて、顔を近づけている。「肩の傷を治してあげましょう」
「っ!何をする!」レインは飛びのくように腕を引いて、数歩後ろに下がった。何をされたのだろうか、レインの丁度左側にいる私には、よく見えなかった。
「ちょっとばかり舐めただけなのに、大げさですね」女はゆっくりと歩み寄る。「御覧なさい、少し治っていますのに。続けますよ」
 レインは逃げず、その女が傷を舐めるのを許していた。私にはそれが信じられなかった。肩を抑えられていたが、時々痙攣しているかのように動いた。
「どうでしょう?治りましたわ」女は顔を持ち上げて肩を離した。彼女の口の周りは赤く汚れていた。話に聞く吸血鬼のようで、酷くおぞましかった。その様子が、ではなく、レインが吸血鬼になってしまうと考えると。
「あ、ああ、お願い事ですね。忘れてました」女は口の周りを指先で拭った。赤い口紅を落とさないよう、丁寧に拭っているようだった。「お願いは――」
拭った血液を、舌先で舐め取る。
「私と今夜、交わってもらいましょう」

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#03:The_Raindrop's_Droping

 一瞬、意味が分からなかった。
 私は女性であるし、彼女も然りだ。普通、性交とは男女が行うものではないか。いや、世の中には同姓で行うという性癖の者もいると聞く。そう言う事を言っているのか、と認識するまで、しばらくの時間が空いた。それから赤面した。私は『聖騎士』という、神に仕える身である。そんな女性と女性の、言うまでも無く婚前の性交が、許されるのだろうか?
 それだけではない。彼女は人間ではないのだ。彼女が私の肩を修復したときに、その邪悪な魔力を感じ取った。つまりは私の体にそれは入り込んでしまったわけだが、右腕が動かなければ抗うことも出来ないから黙って受け入れたのだ。しかし、それが性交となれば、話は違う。戒律以前の問題であるし、信仰云々は兎も角として、私の授かった神の加護は失い、神聖なる力を用いた剣技が、今後使えなくなるかもしれない、そういう損害もあった。
 だが、私に否定する権利は無い。私は負けたのだ。断っても無駄だろうし、テレポートが使え、この林に住んでいる彼女から、逃げ切れるとは到底思えない。姫も連れている。姫を危険に晒すぐらいならば、彼女の申し出を受け入れた方がマシ、というものだ。約束を破るのだって、騎士道に背くことだ、と正当化する。
 私は、気後れは止まないが、覚悟を決めた。「分かりました。やりましょう」
「そうとなれば、早速」彼女はそう言って服を破り捨た。私の剣が掠り、所々裂けていたイブニング・ドレスは、宙に放られて床に接触するまでの一瞬の内に焼失する。彼女は下着と靴だけの姿になり、白く滑らかな肉体をさらけ出す。
 私は急な展開にどうすればいいか分からず、ただ見ていた。こんな場所でするなどとは、夢にも思っていなかったし、そもそも、交わるといって具体的にどうするのかなんて、全く分からなかった。事態をどう受けとめるべきかを戸惑っているうちに、事は一方的に進んでいく。
 不意に、彼女は膝をついてうなだれた。彼女の艶やかな黒髪は前に垂れて、うなじと背中が見えた。私は何となく嫌な感覚に苛まれて、数歩退く。それからその感覚が、彼女の持つ邪悪な力であるというのに気づいた。彼女は声を上げた。それは苦しんでいるようにも、喜んでいるようにも見える。
 そして、彼女の体に変化が訪れる。背中の所々が隆起して、瘤のようなものが複数現れたのだ。それは彼女のブラジャーが裂けて取れるほどであったが、それでもその瘤は肥大化し続け、突然それは破けた。そこからは触手、と表現すべき、植物の蔦に似た器官が飛び出し、急激に伸びた。全ての瘤から飛び出したそれは、背中一面から生えていた。それらは全て、彼女の纏っていたイブニング・ドレスと同じ色、黒紫色であり、血管であろうか、血赤色の筋が何本も通っているのが見て取れる。てらてらと潤沢を帯びていた。
 それに紛れて、彼女の尾骨が長く伸び始めているのも分かる。それも触手と同様に長く伸びたが、若干形状が異なっているようだった。恐らくそれは、彼女の尻尾に当たるのだろう。尻尾が生える際に、ショーツとガーターベルトは破れ、また尻尾は器用にその先端を動かして、両足のストッキングと靴を取り払う。それらは燻りながら、燃えてなくなった。
 尻尾が出来かけの頃から、彼女の背中から染み渡るように、白い肌は黒紫に変わり始めた。まるでタールが背中からにじみ出ているようで、それは全身に行き渡り、淑女のようだった彼女の姿は、遂に余すところなく魔物となった。爪は鋭く尖り、全身を奔走する赤い筋と同じ色だった。艶やかな黒髪の頭には、同じく血の色を呈した角が生える。ぐるりと巻かれた、牡羊の角と同じ角が生え終わると、目に見える変化はそれで終わったようだった。
 彼女は起き上がって、私に微笑みを投げかけた。先程と変わらない形の唇には、犬歯が肥大化したのだろう、僅かに白がはみでていた。「お待たせしました。これが私の本当の姿ですの。驚かれましたか?」
 しかし、彼女のボディや四肢の形は、殆ど変わっていなかった。大きくも小さくもない乳房や、括れたウエストライン。肌の色と蠢く触手を別にすれば、案外見れたものかも知れない、そう思うと、一糸纏わぬ姿というのも、おかしいように――いや、性交前に服を脱ぐのはきっと当たり前の事なのだろうが――
 姿を変えている最中は、本当の姿はもう少し獣染みた姿であると想定していた。私が切り伏せてきた魔物とは、やはり異なる容姿であるのは確かだ。獣の方がいい、とは決して思わないが、それとはまた別な覚悟が要される。しかし、彼女はこれが本当の姿であると言ったが、いささか疑わしい。触手は数メートルはあろうか、という巨大さで、明らかに彼女の肉体との比率もおかしい。そう思っていると、彼女は私の精神を読み取っているのか、こう言った。
「ふふ、殺されたくないでしょう?昔、羽目を外し過ぎて人間を殺してしまったことがありまして。それから少し、自粛しようと思いましたの」私はその言葉に身震いした。恐らく嘘ではないし、となれば彼女は全ての実力を発揮したわけではないのだ。先程の彼女の剣捌きも本気ではないとすると、それではまるで蟷螂の斧でないか。私は、そんな自分の愚かさに愕然とした。
 彼女は突然、触手を私に伸ばしてくる。私が反射的に避けると、「あら、覚悟がついたのではなくて?」とそれを咎めた。敵にやすやすと捕縛される、とは屈辱的だったが、仕方がなくそれに従った。それだけの力量の差は十分にある。それらは私の四肢に巻き付いて、宙に持ち上げられた。それでも有り余っている触手は、私の体を支えるように、全身に絡みついた。絡みついても、形を整えているのか、安定せずに私の体を揺すぶった。
 それに揺すぶられていると、一瞬、姫の姿が目に飛び込んだ。それと同時に、「お姫様にも見せてあげましょう。貴女の、まるで獣の乱れる様を」と囁く。やはり、精神を読み取っているのだ、と思いつつ、こうして彼女と交わることに、強い後悔を抱いた。姫にそんな姿を見せるなど、一生の恥だ。それだけは駄目だ。それをやめることが出来るなら、私はどんな拷問を受けてもいい。
「駄目だ!姫の面前で、そんな――」私は精一杯の抵抗をして、それから抜け出そうとした。無駄な抵抗だとは分かっていたが、そうせずにはいられなかったのだ。
「あらあら、恥ずかしいのね。でも約束は約束。今更後悔したところで遅いわ」手足をきつく締めて、私を絡ませたまま、姫のすぐ傍にテレポートした。姫はすぐ傍で心配そうに見上げている、守護者であるのに、俎上の魚である私を。
「さて、始める前にもう一つ。貴女に面白いものを見せてあげましょう」そう言って、魔物は滑らかな指先で、私の額をトン、と叩いた。
 何が起きたかはすぐには理解出来なかったが、瞬きをしても視界が暗転せずに残っているのに気が付いた。その視界には、幾多の触手に絡まれた、惨めな人間――私の姿。その視界は姫のものだ、と直感的に理解すると、すぐに何をされたかを把握した。
 『共視』の魔法。名前の通り、誰かの視覚を共有する、そういう魔法だ。本来は鳥やネズミに掛けて、遠方の偵察に利用するといった魔法だが、この魔物は私を辱めるために利用するつもりなのだ。私が姫に見られていること、私がいかになる醜態を晒しているか、ということを自覚させて。
 戸惑いを隠せず、綻んだ覚悟を正す間もなく私は引き寄せられて、装いを一つ一つ剥がれていった。魔物はその度に、「ブーツ、グローブ――」と、取り払うものの名前を読み上げて、脱がされていることを強調する。服はどれも破られて、抵抗の甲斐なく、衣服は瞬く間に失われていった。
「スカート」傷だらけの体は露出し、「姫!お願いです!どうか終わるまで!」
「ブラジャー」私の胸がはだけ、「私の姿を、見ないでください」
「ショーツ」陰部も晒され、「お願いです」
「ガーターベルトと、ストッキング」全てを、誰にも見せたことのない全てを、姫に見られてしまった。「姫……お願いします」
 姫は呆然と見上げていて、それからしばらくして気が付いたのか、慌てて俯いて目を固く閉じた。第二の視界も暗転する。
「お姫様はご存知のようね」魔物は愉悦の声で喋った。「立派なホーリーナイト様が、よりによってこんな魔物と淫らなことをしようとしているということが」
「黙れっ、貴様に何が分かる……!」声が震えた。自棄的な衝動が私を叫ばせようと、絶望的な羞恥が、私に押し黙らせようとする。「姫に、こんな……!」
「誰よりも大事なお姫様の前だものね。格好つけたいのも分かるわ。でも、そんな貴女に、こんなこともしちゃう」
「あんっ!」全身に得体の知れない感覚が生じた。何が起きたのか分からなかったが、されたこと以上に、自分から出た、女々しい声に虫唾が走る。
「可愛らしい声」彼女は声を出して笑う。酷い屈辱を覚えたが、それに憤慨している余裕はなかった。「このまま一回、イかせちゃいましょう」
「だめ、あ、あっ、ひぁっ――」再度同様の感覚が全身を駆け巡り、今度は止まらずに連続して続けられた。はしたない嬌声は止め処なくこぼれて、全身の痙攣は抑えられなかった。何をされているのかも分からないまま、私はその感覚に溺れた。この感覚は――そう、認めたくはなかったが、紛れもなく――快感だったのだ。
「いやぁああーーっ!……」
 快感が高まりに高まったとき、頭の中で何かが切れるような感覚がした。それは恐怖を伴って、今まで以上の快感が全身を包み込んだ。体はまるで死にかけているようにぐったりとして、頭の中の静寂に漂う快楽の残り香をかみ締めていた。ぼやける視界には姫が映ったが、思考が復旧するまで、何も考える気にはならなかった。
「これだけでイッてしまうなんて、そんなに気持ちよかったのかしら?」
 しばらくして、自分は、ぬるぬると粘液を分泌する触手で、乳房を揉まれたり、全身を愛撫されたりしている光景を思い出す。姫の瞼は開いて、今思い出した光景と同じものを見ていたのだ。その光景の中の私は、愛撫によって感じて、絶頂に達したのだろう。(兵卒のしていた猥談で、そういった表現を使うと耳にしたことがある)
 思い出せば出すほどに、それが酷く淫らなものだと分かって、私は自分の手をきつく握り締めていた。爪が手の平に突き刺さっていたが、私はそんなことにも気に掛けることなく、まるで自らを追い詰めているように、思考を繰っていた。
 姫は私を見ていた。涙に濡れている目が、何を示しているのか分からなかった。憐れみか、蔑みか、恐れか。姫のぼやけた視界を覗こうとも、姫の思考を覗けはしない。死んでしまいたかった。こんな醜態を晒すならば、いっその事死んでしまいたかった。
 だが、そんな私の心情を差し置いて、行為は一方的に続いた。
「やっ、んんっ――」
 突然私の両足が強引に開かれたかと思うと、今度は私の入り口を撫でられた。水っぽいくちゅくちゅと音を立てて、かき混ぜながら、魔物が喋り始める。「私が身体を撫でただけで、こんなに股を濡らして、いやらしいですわ。ねぇ、お姫様?」
 姫は何も言わない。口に手を当てて、耳まで顔を真っ赤にしているだけだった。私はそんな姫を目にしながらも、口から漏れ出る色声を、踊る肉体を止めることは出来なかった。ぼやける私の視界は自分の涙のせいだったが、その涙の訳は、恥辱から来る嫌悪感か、愛撫から来る官能の、どちらだろう?
「それじゃあ“せい”騎士様、挿入して差し上げましょうか」彼女の嗜虐的な微笑みが目に浮かんだ。血赤色の口紅。「入れて欲しくなったら、すぐ言ってくださいね」
「だ、誰がそんなことを言――っ!あぅっ!」
 再度、全身の触手は蠢き始めた。それだけでなく、陰部を何か軟らかいもの、恐らく舌で舐められた。チロチロと掠めるそれは快感に変わり、私の腰部ががくがくと震えた。触手は私の胸を同じ様に嬲り、イかされそうになると、動きは全く静止し、頃合いを見計らって、また私の身体を弄び始める。
 それはほとんど拷問だった。達する寸前で行為を止められる度に、挿入を要求しようとする自分が、即ち、その快楽を欲する、彼女の言う通りの、「性欲に乱れる獣」である、と認識する羽目になり、酷く自己嫌悪に陥った。
 私は耐えに耐えた。悶々とする体を抑えようと、全身全霊を掛けた。ここで耐え切れなかったら終わりだと、そう何度も自分に言い聞かせた。姫の面前で、心までは乱れるわけにはいかないと叱咤した。いくら身を捩じらせても、声を上げても、最後の砦だけは死守する必要があった。
 それでもこれは、あまりにも分の悪い戦いだった。
「入れて……」
 遂に理性の剣は折れた。
「聞こえませんわ。もっとはっきり言わないと」
 今の私は、聖なる力を剣術に宿らせる、王家を守るための騎士ではない。
「入れて!この獣をイかせて!」
 性欲に自己を抑えられない、ただの淫らな獣なのだ。

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#04:Vaporization

 私は達すると共に、体の中に何か熱いものを注がれた。絶頂の余韻の中、私の拘束は解かれ、床に横たえられた。私はただ呆然としていて、その空虚の中に、次々と感情が浮かび上がってくるのが分かった。私はそれに溺れて、息が出来なくなる。喪失感、開放感、自己嫌悪、羞恥、後ろめたさ、後悔――
 不意に何かが、私の裸体にのしかかる。何か喋っているようだった。私はそれに手をやると、髪の毛に手が触れて、それをそのまま撫でた。私が撫でているのは姫だった。姫は泣きじゃくりながら、私の名前を何度も呼んだ。それを聞く度に、複雑な感情の混合物は、安らぎを帯びて振動した。あんな姿を晒してしまったのに、私を慕ってくれている。何よりも失いたくないものだけは、繋ぎ止められている。
 だが、何故だろう。
 この高揚感は。
 クールダウンしていくはずの体は、また発熱し始めた。
 心臓は強く脈打ち、高潮する。様々な負の感情は、ぶら下げた安らぎを連れたまま、フェードアウトしていく。代わりに沸々と、そう、高揚感が湧出してくる。その高揚感は、性的なものばかりではない。強敵と対峙したときの破壊的な衝動さえ孕んでいたのだ。
 不意に頭を過ぎる、あの魔物の微笑み。意味深長で、陰を抱き、生命を嘲笑するような笑み。焼け付いて離れない唇の形、その赤は、ゆっくりと形を変えて、言葉を発した。
「これでお終いと思って?」
「くうっ、はぁん、何、これ……」私の全身は震えた。
 姫は驚いて身を退いた。それと共に、精神と肉体の高ぶりは、遂に自己の熱で熔融を始める。両腕は私の頭を抱えて背を丸め、足も折り曲げた。全身を汁まみれになりながら体を縮こまらせている様子は、まるで胎児のようだった。その胎児の口からは喘ぎ声が漏れて、悶える体に身を捩じらせている。
 犯されているような快感が、熱に呼び覚まされて再発していた。性器から湧く粘液が、まるで熱湯のように沸いていて、それが肌を伝って広がっていくようだった。裸体を撫でるように焦がしていく。姫の視界の中で、私の体に変化が起きているのが分かる。初めは蹲った体で見えづらかったが、変化が進むにつれ、それは顕著になっていった。
 茶色の体毛が生え始めたのだ。その変化は陰毛から始まったのであろうが、じわじわとその範囲を広げていく。その変化が快感と高熱をもたらしているのだ。変化はそれだけではなく、お尻から何かが生え始めているようだった。その新たに生まれつつある部位にもやはり感覚はあった。それは紛れもない尻尾だった。獣が持つはずのそれが、私の身体から生えている。
「うう……いや、こんなの……」
 変化が私の乳房を覆い始め、それが私の腕をチクチクと刺した始めたときには、姫の視界では、私の脚に変化が見えた。大腿の筋肉は肥大し、またほとんどが胴体の一部になりつつあった。またくるぶしより下の足は、徐々に人ならざるものの足へと形を変えていく。伸びているようだった。骨が歪む音からも、これは錯視ではないようだった。それら変化は、体毛の生える変化よりも遥かに熱く、また淫らだった。息を整えることすら、ままならない。
「酷い……私の、体、が……」
「レイン、これは何?どうしたの?ねぇ、レイン!」姫の声が聞こえるが、私には返答出来なかった。大丈夫、そう一言呟くことさえ。このおぞましい光景を信じられなかったのは、私の方だったのだから。
 私の下半身は完全に獣になってしまった。ライオンのそれと同じ様に、地面を這い回るための形。ごわごわとした茶色い毛で覆われて、お尻からは立派な尻尾が垂れていた。もう私は、二本足で屹立することも出来ない。世間に顔は見せられない、そういってひざまづいている自分の姿が、頭の中に浮かんだ。目からは止め処もなく涙が溢れた。
「やめ、て、お願い……」
 腕も脚部と同様に、上腕の筋肉が肥大化すると共に胴体に癒着し、また手の平も足と同じように鈍い音を立てて長くなった。骨格が変化する一方で、腕にも毛が生え始めていた。腕に生える毛は、哺乳類のそれとは異なり、羽毛であると気づいた。いや、胴体は確かに毛皮のようだったが、両腕は鳥類と思わしきものに、変化していった。気付けば指の一部は退化していたし、手からは鱗の生え、節くれ立った鈎爪になっていた。ふと動かせば、その鈎爪は空を掴むように握る。紛れもなく私の腕だ。でも、もう剣は握れないし、文字を綴ることも出来ない。人生のほとんどを費やして磨いた剣技は、こんなところで断たれるのだと思うと、空しさが抑えられない。
「お願い、私を、私を魔物に、しな、いで……」私はただ、快感に苛みながら、変化に対してうわ言を発するばかりだった。俎上の魚は跳ねることすら出来なくなり、ぱくぱくと口を開閉し、悲しみにくれるだけ。それとは相反して、異様な高揚感と体温は、身を悶えさせていた。
 腕の変化が終わろうとしたとき、一度変化を終えた私の背中に、再度高熱が帯びる。レイピアで貫かれた所よりもやや内側、肩と背の間だった。そこで何が生じるか、という推測は正しく、やはり翼が生えた。今は重たげに横たえているだけだが、恐らく羽ばたけばこの巨体を舞い上がらせるのだろう。
「なりたく、ない、なりたくない、のに……」
 頭部もまた変化しつつあった。首は伸びて、骨格の変化を追いかけるように羽毛が生えていく。首筋には、そろりと舌が這っているような感覚が通る。
「私は人、げん、なノニ……」
 私は変化の途中ながら、横たえたを持ち上げ、四足で立とうとした。姫は一歩だけ退いた。慣れない体でもがいていると、あの魔物がすぐ傍に佇んでいるに気付いた。姿を人間のものに戻し、焼失したはずのイブニング・ドレスを纏っている。まるで自分は人間だ、と見せ付けるように。
 立ち上がるだけのことに苦心しているのを見て、「ああ、かわいそうに」と、わざとらしく言い放つ。私はやっとのこと思いで立ち上がったが、すらりと直立する、美しい魔物には、まだ見下ろされたままだった。
「ウア、ア、モトニ、モドシテ」それでも私は乞うことしか出来なかった。声帯は変化しきって、既に醜く濁った声しか出せなくなっていても、そればかりであった。
 その間変化は続いている。羽毛が骨格の変化に後から追いつくように生え揃うと、そのまま私の頭部を覆い始めた。羽毛が一本、一本と生えていくにつれて、私の頭髪は抜け落ちる。その光景は、私の身体は失われ、新たな身体が生まれているということを強く自覚させた。
「ふふ、貴女が獣の言うことに耳を貸したことがあって?」彼女はそう言って、彼女は私の目の前で立ち、しゃがんだ。私の今、変化しようとしている顔を覗き込んで、彼女は笑っていた。
「イヤ、ア、ア……」私は前肢で身体を支えるのをやめて、地面に突っ伏した。空いた前肢を本能的に動かして、私は自分の顔を覆った。自分の手の感触は、以前のそれとはまるで違っていた。肉の無い鈎爪は、まだ剣の柄を当てていると考えた方が、よっぽどしっくりとくるような肌触りだった。
 私の顔の骨は前に突き出ようとしていた。私はそれを抑えても、まるで意味は無く、鼻や唇を飲み込んで、嘴を形成していくのが分かった。皮膚は薄く延びて硬化し、震える私の鈎爪が接触する度に、カチカチと音を立てた。
「ウグ、ギ――」同期を取るべき唇も無いのに、今でも喋ろうとする舌は、その異形の口腔に合わせるようにして、ぶくぶくと膨れていった。その厚みに邪魔されて、次第にその舌も働かなくなる。「ギ、ギャ、ギャアァ……」
 私は言葉を発そうとしても、ギャアギャアと鳥めいた鳴き声しか発することが出来なくなってしまった。いつも通り喋ろうとしても、ゆっくりと意識して声を出そうとしても、挙句には、ただ咳払いをしようとしても、嘴からは魔物の鳴き声ばかり。
 私は辱めを受け、純潔を奪われ、二本足で立つことを奪われ、剣を、筆を奪われ、遂には話すことさえ奪われた。私は何から何まで奪われて、後はこの醜い体と、糧を失った生命だけだった。
 それなのに、魔物は言う。
「じゃあ聞きましょう」
 うずくまる私の頭に手を置いた。そして、私に訊ねた。
「貴女は人間ですか?」
 私は答えようとした。答えようとはした。自分の声で、「私は人間だ」と主張しようとした。
 だが、魔物の鳴き声しか発することが出来なかった。私の声は、人間であることを主張するどころか、獣であることを証明していたのだ。
 私は、グリフォン、そう、鷹とライオンの合いの子に、成り下がってしまったのだ。
 私は以前の自分が秀麗だったとは思っていないが、それでも自分の身体にはそれなりに愛着があった。だが、今ではもう、全身を毛で覆われた、まさに獣なのだ。性欲に負けて獣に堕ちた精神を晒し、遂には肉体も獣になってしまった。服を纏わず、尻を臆面もなく突き上げて、荒野を闊歩する獣。私はそれと、同列の存在なのだ。唯一残された理性なんて、それこそ無くなってしまえばいい、そうとすら思った。そうすれば、この屈辱に、押しつぶされることもなかったからだ。
 だが、こんな姿を姫に見せたくない、という思いを、変化が終わってからようやく抱き始めた。既にボロ雑巾のような私のプライドが、少しだけ形を持ち直したのだ。そして私は、こんな魔物に助けを乞うばかりであった自分を恥じた。
「そう、貴女はグリフォン」私の心を抉るように、魔物の女は高笑いをする。「貴女は人間じゃないし、人間にもなれない。獣として、交尾したり、獣を狩ったりして生きていくの。火の通っていない肉を美味しそうに喰らってたりして。ときには人間を狩って、最後は昔のお友達に殺されてしまうの。貴女がしてきたようにね」
 その魔物は、私の頭を撫でるので、私はその手を振り払った。「私は貴様のペットじゃない」そう言いたかったが、私は言葉を紡がない。その代わりに、私は喉を鳴らして人外染みた唸り声を上げる。野生のグリフォンが威嚇するように。
 彼女の言葉は、ただ闇雲に私を貶めているのではなく、事実なのだと認識した。口から漏れた唸り声は、私が意図したものではなかったからだ。
「一つ良いことを教えてあげましょう」次は毛並みを確かめるかの如く、私の首をさすった。獣染みた自身の行動に面食らっていた私は、抵抗し切れずされるがままにしていた。「貴女の変化はまだ、終わりきっていないのよ」
 彼女の、あの微笑。薄れかけた脳裏の焼印は、色濃く蘇る。
 とたんに精神は高揚して、体が熱くなる。私は嬌声の代わりに、甲高い鳴き声を上げた。魔物が私の首から手を離すと同時に、私の長い首に姫は抱きついて、私の変わってしまった顔を覗き込みながら「レイン!どうしたの?」と呼んでくれる。私は人間ではなくなってしまったが、まだレインではあるのだ、そう思った矢先だった。
 強烈な性欲が、私の陰部から脳天を突き上げた。何か変化が起きている。むくむくと、私の性器の一部が肥大化し、何かを形作り始めた。訳が分からなかった。体はもう、認めたくないが、グリフォンになってしまったはずだ。
 だが、変化は実際に起きていた。また、性器からの快感ですぐに気付かなかったが、変化は私の胸部にも起きていた。思わず私は、前脚で自分の乳房を触る。それで気がついた。信じがたいが、それしかありえなかった。
 乳房は縮小し、無くなってしまった。元々大きくはなかったが、それでも確かにあったのだ。鎧を作るときだって、しっかりとその大きさを寸法に入れた。だが今では、その脂肪分は消失し、羽毛に硬い筋肉しか触れることが出来なかった。
 陰部の変化が終わると、そこには何かがぶら下がっていた。それはあの熱を孕み、怒張していた。私は恥ずかしくなって、思わず足を畳んで座り込む。それは私の腹に当たって、毛皮越しに温度を伝えた。一連の動作に姫は不思議だ、とでも言いたげな顔をしていらしたが、今の私には言葉を伝える術がなかったし、伝えるには卑猥過ぎる内容だった。
 そこに滞ったままの熱は、いくら分散してもそこに存在した。私の、一度きりしか――しかもこんな魔物にしか――使われなかった女性性器に代わって。
 私は女性らしく振舞うように育てられなかったし、また、時に女性であることを恨みもした。だが、それでも私は女性だった。不慣れでも、鎧を纏わぬときにはそれなりのお洒落をしていたつもりだったし、化粧だってする。社会的には男性であったとしても、私は女の子だったのだ。それに貞操だって、しっかりと守ってきたのだ。
 なのに。
 なのに、私の身体は男性になってしまった。確かにもうこんな、醜い魔物の姿かもしれない。それでも、私は女性でいたかった。女性としてではなく、聖騎士として育てられた私は、最後の最後に穢されただけで、女性的な楽しみ等ほとんど味わうことなく、雄になってしまった。
 持ち直したプライドによってせき止められていた涙は、歪んだ嗚咽に変わって溢れた。そしてその嗚咽さえ、私を虐げている。
「どう?新しい身体、気に入ってくれたかしら?私なりに、貴方の本能を投影してみたのだけれど――」魔物は私の周りをうろうろと歩きながら喋る。私を惨めだと言いたいのか、嬉々としていた。「ああ、そういえば貴方は馬が欲しいって言ってたから、馬にすればよかったかしら。でももう変えられないし……。それじゃあ、お姫様を馬に、しちゃいましょうか。そうすれば、貴方のナニもすっぽり入るわね」
 蓄積していた、多種多様のネガティブな感情は、言葉を注がれて溢れだし、姫に対する防衛という形をとった怒りになった。私はその瞬間、反射的にその魔物に飛び掛かる。
 突発的な衝動は首に抱きついていた姫のことを省みず、理性が歯止めを掛けようとしたのは飛び出した後だった。姫の悲鳴に振り向くことすら出来ず、姫を振り落とすように残した。小さく耳に飛び込むのは、そのかすかな悲鳴。
 魔物はテレポートをし、私の身体を空を過ぎった。そして姫の安否を確認しようとするも、それより先に魔物を追っかけている自分がいた。押さえられない。挑発が口火を切ったのだ。奴を殺さなければいけない、という妄執が、今や私の身体を動かしていた。
 何度飛び掛るも、魔物はテレポートを駆使して避けた。飛び掛りは消え、飛び掛りは消えを何度も繰り返す。その度に奴の嘲笑が私を駆り立て、その度により奮起して飛び掛った。止められなかった。闇雲に敵を追っかけているだけで私は充足していた。猫じゃらしで翻弄される猫と同じ、これが今の私の本能だ、という事実を、否定出来るものなら否定したかった。
「惨めなものね」高笑いがホールに響く。「節制すら失うなんて」
 私は飛び掛る。今度は身体に何かがぶつかった。それは悲鳴を上げ、押し倒された。テレポートをしなかったのだろうか、という疑問を抱いたまま、捕らえた獲物の上に、踏み潰さないよう着地する。
「レインっ!私よ!」私の巨体の下から聞こえてくる声は、姫のものだった。
「これじゃあ、手懐けられた家畜の方が、よっぽど人間に近いわ」どこからともなく聞こえてくる声。あの魔物は姿を消して、ホールには見かけられない。
 獲物を見失った私は、ようやく主導権を取り戻した。先程の躍動しているときとは大違いで、身体はぎこちなく動いた。人間では手の平や足の甲だった部分が、グリフォンでは脛的な部位であり、人間で言えば脛だった部分が、グリフォンでは腿なのだな、等と、わざわざ確認する必要があった。そうしながら私は、数歩後ろに下がった。
「レイン、しっかりして!」仰向けになって横たわり、こちらを見上げなさっている姫と目が合った。姫は、私がまだ闘争本能に駆られていると思われているのか、何度も呼びかけなさる。
 私は身体をどかそうとした。だが、そう必死になっている姫を見ていると、ある欲求が、身体の中で火をつけた。私はそれを止めようとしたが無理だった。理性の支配は束の間で、再度、暴力的な本能が、私の身体を支配し始めたのだ。そのときの無力感は、戦いに負けたときより、犯されているときより、姿を変えられているときよりも遥かに強く、そして、私に絶望を与えたのだ。

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#05:The_Steam_Engine

 レインの様子は明らかにおかしかった。
 私の呼びかける声は一向に届かず、レインは左手で私の腕を押さえ、また後ろに下がった。長い首を下ろし始めたとき、レインは私に噛み付こうとしているのだ、と思い、「食べないで!」と叫んだ。レインは私の身体を噛み付きはしなかったが、それは多分、私の声が届いたわけではないだろう。
 嘴は、私の服を咥え、破ろうとした。右足の爪で服を裂いて、同時に身体を押さえつける。硬い爪が私の胸に押し当たる。何枚も重ねていた服は、二、三度で全部破かれて、ブラも器用にちぎられた。
 そして、嘴から出された舌が、私の胸を舐める。暖かく、ぬるぬるとしていた。
「ふ、ぁ……レ、イン?」
 気持ち良い。
 その一瞬だけで、私は恐怖を忘れた。もしかしたら私を良く味わって喰らうのかもしれない、という発想や、その嘴が突き刺さるかもしれない、という考えも、色を失ってただ存在だけしていた。頭の中で適当に発せられた言葉のように、ただ無意味に。
 いや、一つだけそれらの思考の意味を見出すならば、それらは不安や危険といったネガティブなものではなく、むしろ喜びであった。仮にレインに食べられてしまっても構わない、それどころか、もしレインがそうしたいのならば、進んで食べられよう、とも思っていた。一瞬の恐怖に命乞いしたことだって、今では後悔している。
 私は何も出来なかった。レインは私のために尽力を尽くしてくれているのに、何一つしてやれない。事実、見ないでほしい、という目を閉じれば良いだけの願いさえ、私は聞いてやれなかったのだ。
 ならば、レインが私を食べたいのなら、それがせめてもの恩返しになるのなら――
 命だって惜しくはない。

 私は嵐のような欲求を抑えられず、姫の服を破り去ったばかりか、あろうことか、姫のことを舐めてしまった。私は守るべき存在の姫を、私自身が攻めてしまったのだ。姫はもう何もかもを諦めなさったのか、抵抗の素振りも見せない。そうだろう、こんな獣に襲われているのだ、そう自嘲し、同情した。
「……ん、ん……ひぁ、ふぁ……――」
 私は抑えられず、分厚い舌で何度も舐めた。まだ発育途中の乳房ばかりでなく、至る所を舐めたり、嘴の先で軽く噛んだりもした。その度に上げなさる姫の声は、私の官能を刺激して高まった。
 私の師でもあり、親衛隊の前隊長でもあった父に、いつも私を信頼してくださった皇帝と后様に、そして何よりも、姫に、申し訳ないと思った。全ては自分の力不足であり、これはその結果なのだ。
 しかし、そういった後ろめたさの中に、この行動を肯定している自分の存在に気がついた。本能が、身体が与える欲求ばかりではなく、この展開を私の精神は予め望んでいたかのように、私の中に歓喜があるのに気付いた。その正体を推し量ることも出来ず、絶望はただ、揺れ動いていた。
 次に私は身体の向きを変えて、姫のスカート等を剥ごうとしていた。姫は抑えられていた腕を開放しても逃げる素振りはなく、私の意に反して滞りなく進んだ。私は姫の召し物の、何から何まで破いた。そして今度は、姫の股に舌を伸ばしたのだ。
「う……はぁっ、あっ!……ぁ……んっ!――」
 私は目を瞑った。共視の魔法も既に解けていたから、そうすればこの現実から少しでも逃避出来るだろう、そう思って目を瞑った。だが、私の舌から伝わってくる感触や味覚、濡れた音、姫と自身の喘ぎ声は、私の心の中で反響して、現実から逃れることが出来ない。
 軟らかい舌触りは、確かに気持ちよかった。姫に対しての性欲も、きっと偽者ではない。そう認識した後は、それらは私に与えられた雄としての肉体のせいだ、そう考えることで、私は行動を正当化しようとした。
「あんっ!……レ、ン……レイン――」
 しかし、行為が激しくなると共に、歓喜はより一層、私の精神を満たしていた。紛れも無く、この状況を望んでいる自分がいた。姫を無理やり犯したいという欲求が、私の中に否定できない形で存在していた。
 その事実、認識は、逃避、正当化の術を挫き、ただ積みあがっていった。その事実のせいで、今まで築き上げてきたものが全て瓦解していくような気がした。守り抜いた意味が、台無しになってしまった。
 作り上げたトランプの塔を、最後は自身の手で崩すように、最後まで残しておいた好物を食べるように、私は姫の身を守り抜いてきたのは、こうして、その身を犯すためにあったのだと、私は気がついてしまったのだ。
 私は初めから獣だったのだ。
 私は、嘴から出した舌で性器を舐めながら、尻尾で彼女の頭に巻き付いて、角度を変えた。調整し終えると、尻尾はしっかりと頭を捕縛した。元の身体にはなかった部分の触覚に驚きつつも、嫌な予感がして、そしてそれはその通りだった。尻尾とは別の、元の身体にはなかった器官から、快感が迸ったのだ。私の喉奥からは高い鳴き声が小さく漏れ、身を捩じらせた。
「んっ!んむ――」
 私は陰茎を、彼女の口に押し込んでいた。罰としてそのまま噛み千切って欲しい、そう思った。だが、その思いとは裏腹に、彼女はそれに歯が当たらないように咥えて、あろうことか、私の陰茎を舐っていた。私は遂に彼女を狂わせてしまったかと思いつつ、その気持ちよさで、罪悪感さえ霞んでしまそうだった。

 初めは驚いたが、すぐにそれがどういう意図なのかが分かった。一人食べられる覚悟なんてして恥ずかしいな、と思いながら、私は尻尾にされるがままになって、それが私の口に入るのを待った。
 大きな生殖器を前に若干しり込みしつつ、私はそれを受け入れた。傷つけないようにそっと咥えて、そうしている最中も、レインは私のものを舐めていたから、そうすると気持ちいいのだろうと考えて、比べれば小さな舌で舐めた。既にそれは濡れていて、しょっぱい味がした。レインに喜んで貰える、そう思って私は精一杯奉仕した。
「ギ……ギャッ!……グ、ゲ……ィ――」
 レインは可愛い声を上げて、それをビクリ、と振るわせた。きっと気持ちよく出来たんだ、と思って、私はそれが嬉しくて、どうすればもっと喜ばせられるだろうと思って、色々なやり方で舐めたり、吸ってみたりした。

 しばらくして、私は我慢出来ずに射精してしまった。陰茎を抜くことも出来ず、そのまま姫の口の中に注がれた。下品な鳴き声を発しながら、快感が思考を満たし、去り際に一生消えることのないだろうな、鉛色の背徳感を残していった。長い縁がなくとも、年端もいかない子供にこんなことをさせているだけでも非道であるのに。精を放った陰茎を、姫の舌は丁寧に拭いなさっているのを感じて、罪の意識と愛欲は、一層高まっていく。

 口の中に精液を出された。溢れそうになるそれを、私はこぼさないように飲んだ。初めに感じられたのは苦味だったが、私にはそれ以上に甘く、愛しいものとして大切に飲み干した。飲み干しても、自分の口の中が、生臭い――甘美な匂いで一杯だった。そうしてから、精液を放出した生殖器を舌で舐めて掃除をする。射精した生殖器は、勃起を解いて小さくなる、そう教えられたが、硬く強張ったまま、それは抜き取られた。
 それと共に、私は理解する。まだ本番ではないのだと。既に私は、レインに全てを捧げる覚悟が出来ていた。もう私の身体は、子供を作れるようになっていたから、拒む理由もない。
 そしてレインの舌が止まり、尻尾が緩んだのを確認すると、私はうつ伏せになってから四つん這いになって、更に身体の向きを変えた。レインと同じ格好になって、そのときを待った。自分の初めてを奪うのがレインであること、レインと一つになれること、今の自分はレインのために行動出来ているということに喜びながら。

 私が行為を緩めると、姫は積極的に体位を変えた。私の身体は動こうとしたのをやめて、その体位に合わせた。私が姫の貞操を乱したことで狂わせてしまったのか、それとも、姫は私に食い殺されまいとして、私の本能の意に従い行動しているのか、分からなかった。だが、この行為は、姫の身体に一生の傷を付けることになるのだ。結局、自分の深層心理に抗う術が無いまま、ここまで来てしまった。
 そしてまだ、贖罪の術も思いつかないまま、身体は動いた。私の腹が姫の背中に接触している、と今更なことに気を掛けつつ、私は姫の処女膜を破った。痛みに辛そうな声を上げる姫に、私の肉体は動きを緩やかにしていたが、それでも苦痛は拭えないのだろう、悲鳴に近い声が聞こえてくる。なのに、私は、私を包み込む姫の中があまりにも気持ちよくて、声にならない声を上げていた。

 鋭い痛みに耐えながら、私はその行為が終わるのを待った。静かなホールには、私とレインの息と、水音だけだった。その水音は、きっと私が淫らだからだろう、とか、私も怪物になってしまうのだろうか、とか考えていた。
 きっと私の身体では、レインの大きなものは最後まで入らないだろう、そうも思った。思った通り、まだ途中であるのに、それは身体の奥にぶつかった。無垢で敏感な身体は、その刺激をまずは、痛覚として捉えていた。ギリギリと音を立てんばかりに歯を食いしばったまま、鎮痛の魔法を唱える。
 その魔法の効果か、慣れてきたのか、いや、きっとレインのことをいとおしむ気持ちのお陰だろう、その痛みは徐々に、魅力的な痺れを帯び始めた。それが刷り込まれるたびに淫楽は高まっていき、しばらくすれば残された痛みですら、私の淫猥な身体を気持ちよくさせてくれるものの一つになっていた。
 破瓜と敏感さによる痛みによって一度は押しとどめられたが、レインと一つになれたこと、そして再度湧き上がった快感によって、私の精神は高まりに高まった。何度もトびそうになる精神を、レインより先にイきたくない、という意地だけが、とろけてしまいそうな感覚に飲み込まれないように維持していた。一緒に達したいという一心で、既に羞恥を忘れて、私は惜しげもなく声を出し、身体を動かしていた。
 加速する私とレインの声と行為の音がまるで引き裂かれたかのような、レインの声。それは無声の絶叫だったけども、朝を告げる鶏の雄たけびのように、その甘い一時の終わりを告げていた。私の精神は、止め処もない多幸感と熱い濁流に飲み込まれて、空白に落とされた。

 私は、姫を犯しながら、性感で霞みかけた意識を駆使し、二つのことを考えていた。
 今までのことと、これからのことだ。
 今までのこと、つまりこの行為を、どう評価すればいいのか、ということだ。この行為を私は、一生許すつもりは無い。それはいいとして、この行為は、私にとって苦痛だったのか?
 いや、違う。
 苦痛ではなかった。
 出すものを出しておいて苦痛だったと思うなど、そこまで落ちぶれた人間ではないし、これは私の本心が、私の気付かない内の本心が、望んでやったことなのだ。こんな気持ちを自認する等、誰に知られることもないのに恥ずかしいが、私は姫のことが好きなのだ。好きで堪らない。叶うことならば、ずっと前から、こうして姫と触れ合いたかった。
 開き直るつもりは無いが、毒を喰らわば皿まで、そう思いながら、私は自分の意思で、ゆっくりと、そしてぎこちなく腰を振った。
 もう一つは、姫は私のように、姿が代わってしまうのか、という疑問だった。仮にそうであれば、私は彼女の処女を奪ってしまったこと以上の罪を犯してしまうことになるし、それはある種、姫を殺してしまうよりも忌むべきこと。
 だが、もしそうであれば、彼女はどんな生物に堕ちておしまいになるのか。
 魔物は私を、意図的にこの姿に変えた、と述べていたが、もし私が念じれば、姫はその姿を取られるのだろうか。もし私が、姫はそのままでおなりになることを念じれば、その通りになるのだろうか。分からなかった。姫も否応が無くグリフォンになってしまうのかもしれないし、もしくは姫に似合った生物が、選ばれるかもしれない。
 あれやこれや、と考える。人畜無害な姫のことだから、そのような動物におなりになるのだろうか。だが姫は運動能力に欠けなさる。草食動物とはどれもすばしっこいものだが、姫はどれも妥当に思えない。だが活発だ。淑やかでもおありだ。勇気も存分にお持ちだし、人並み以上に知性はあるし、何より優しいお方だ。お后様に似て美人でなさる。その気持ちも分からぬわけではないが、色目を使う輩もいる位だ。大衆には人気もあるし、ああ、あと――
 膨大な量の仮説ばかりで、また快感が頭を鈍らせていたから、償いや後悔に埋まるよりも先に、思考は飛躍に飛躍して、ただ走り回っていた。そんな酩酊したように繰られる思考を垂れ流しながら、私は果てた。結局私は答えを出すことが出来ず、心の何処かで人間であることを願いながら果てた。
 私は抑えることなく声を上げた。そして萎え始めた陰茎を挿入したまま、射精の余韻に浸って、しばらくそのままでいた。ありとあらゆる負の感情は、勿論拭い去れない。しかし、気持ちよかった、私の欲求は満たされたのだと、潔く認めよう、そんなことを考えていた。
 しばらくして、私は自分の身体を自分で動かすことが出来ることに気付いた。いや、身体の制御はとっくに取り戻されていた。自分の姫に対する感情に気付いたとき、動物的な本能は私の精神と、隔たり無く直結していたのだから。
 今ではもう、完全に雄になったのだな、と、一抹の羞恥を抱きつつ、陰茎を引き抜いた。
 唐突に、私は眠気を覚えた。体中をぐしょぐしょにしている粘液やら汗のせいかもしれないが、身体も非常に重く感じる。ここのところずっとまともに眠っていなかったし、ここでの出来事は、色々な意味で私を疲れさせた――戦い終わった後の静けさのように、悪くない倦怠感だ、そう思いながら、ざっと一連の出来事を改めて振り返った。

 生殖器が抜かれ、レインが私から離れたとき、私は寒気を感じた。全身は汗でびしょびしょだったが、それは行為による興奮と、何より毛皮のあるレインに抱かれていたからだった。体内に注がれた精液だけがやたらと熱かったが、それだけを保温の拠り所には出来ない。服はレインに破られてしまったし、レインの服だってそうだった。
 行為の後、擦り切れたように痛む膣に、もう一度鎮痛の魔法を掛けながら、私はふらふらと立ち上がる。身体の中に出された精液がどろどろと股から垂れ流れているのを感じつつ、その寒さを和らげるために、傍らで座っていたレインの首を抱いて、その羽と羽の間に身体を滑り込ませた。レインは驚いたのか、可愛らしい鳴き声を上げたが、暴れずに大人しくしていた。
「暖かいね」と呟く。
 毛皮からは動物独特の匂いがするし、私の身体を全部寝かせても、身体ははみ出ないほど身体は大きかったが、こうして触れ合えることが、即ちレインである証拠なんだ、と思った。
 それでも毛皮に触れていない背中が寒かったので、私はレインに「暖炉に当たろうよ」と囁いた。レインはおぼつかないだけでなく、のっそりとした挙動で、暖炉の前まで移動した。したかと思うと、すぐに座り込んだかと思えば肢を投げ出して、首を真っ直ぐに伸ばし、眠り込んでしまった。
 少しお話でもしたかったのだけれど、私はレインに乗ったまま、レインがクークーと寝息を立てて、気持ちよさそうに眠っているのを眺めていたら、私も次第に眠くなってきた。
 夢うつつにまどろむ中、私はどんな獣になるのだろう、ぼんやりと想像しながら、今にも高鳴りそうな熱を秘めたまま、私は束の間の安らぎに眠った。暴君レナンティウスへの怒りも、脅威に晒されている、愛する国民への憐れみも、抱え込むことなく――

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作成日:2008/03/22;更新日:2008/08/05
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